情報処理と2倍速。

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今日は、最初の職場のメンバーでの忘年会。
よく考えたらすごい不思議な縁でつながる不思議なメンバー。
そんな素敵なつながりでの忘年会だったので、
麻布十番のそれはそれは素敵なお店だったのですが、
来れなかったメンバーがいて残念。
素敵なお店なだけに!!
(ていう自分も1時間の遅刻でしたが……)
でもね、また次回、年明けて新年会でまた、
すてきなお店でぜひリベンジしましょー! >先輩♪
 
 
そんな飲んでる中で、話題になったのが情報処理の話。
(以降は、たぶん酒入りで書いてるので、まとまりないですが…)
たぶんみんな思うことだと思うんですけど、
絶対この時代、時間当りに処理しなくちゃいけない
情報が多すぎるよねーって話。
もちろん能力の話もあるんでしょうけど……。
例えば江戸時代では、
そうとうな識者が数年かけて処理してきたような情報処理を、
Excelとかそういったツールがあることで、
見識の浅いぺーぺーが数時間で処理したりするわけ。
でもそれって、優秀な判断のスピードが、
速く処理されるようになってよかったねー、ということでは
必ずしもなくて……。時間をかけてたからこそ、育めた思考を、
今はそれをショートカットしちゃってて、そのせいで、
“判断”ではなく”処理”になってるよねーって話。
あれ違ったかな?
話題の主旨としてはちょっと違ったかもしれないですが、
(もうちょいゆるいオモロトークだった気もしますが。笑)
でも個人的に思うところは、そこ、でして。
スピードを大切にすることは悪くないことですが…
でもその一方で……。
時間、かけなすぎ……。
工数ベースだと時間をかけないことが美徳とされる。
実際それは”短時間で高収入”を理想とする労働者から見れば、
すごく良いこと。
でもね最近、別の意味にとらえてた言葉が、
今ちがう風な意味に映るんですよね...。
Time is money...
「時間は貴重だ」という脅迫観念のもとに
時間の奴隷になってしまう呪の呪文じゃなくて、
「時間を費やすことが、価値を生む」というか。
(あれ…これは当たり前の話?)
最近資本主義すぎるのもどうかと思うので、
この際、moneyを「金銭」よりも拡大解釈して、
捉えると……。
時間=労働者の可処分時間=24hー生理現象に費やす時間。
それはつまり自分の”限られた時間”を”費やす”ことに、
価値がうまれるのではないかと。
言いかえれば自分の人生時間を費やす担保へのpay、
なのではないかと。
うーーーーーーーん。
うまく表現できないけど、
1分=60秒みたいな物理的な「時間」ではなくて、人生時間。
人生時間を費やすこと=価値。
Time is money.
といった本来の意味で、それに対価が支払われる、
というほうがナットク感があるなーって思います。
対価 = 人生時間 × 個人スキル
だから時間をたっぷりかけたっていいじゃねーか!!!と。
かけずにパフォーマンスを出すのも、価値。
みっちりかけてパフォーマンスを出すもの、これはこれで価値。
ここからは個人的な主観ですが、個人スキルはあくまで技術。
数字をいじったり情報をいじったり何かを「いじる」スキルではなく、
何かを生み出す技術であって欲しいなと…思うわけです。
“いじる技術”で利益が発生するような仕組み(制度)を作って、
もうける…っていうのは、労働という意味では……なんだかなあ。
時間かけない稼ぎ方をできる仕組みつくって、
それで儲けるのもアリかもしれないけど。
それに邪魔だからって「時間を費やすこと」が罪悪である、
みたいな風潮はそれはそれでどうかなーって。
時代には完全に逆行しますが。
PCのチカラ借りて計算の早さが速くなったとしても、
100M走のタイムが、1秒単位ではなくカンマ何秒で競ってるのと同じ。
人が何かを思考できる時間なんて変わらない。
それなら私は、(CGより鉛筆をとる宮崎駿ではないですが)
計算機より自分のあたまを使って考えることに、
価値を置く考え方でいたいな…って思います。。。。
問題はその(キレイゴトの)前提を成立させるための、
プロデュース力(技術?)ということなのかもしれないですけどね。
もはや酔っててへろへろなので、
また明日見直しながら、
もうちょい考えてみることにします。
あ、ちなみにタイトルについては、
バラエティは意外と2倍速で見るといい(時間効率的に)
というのをちょっと発見したので。
まあでも制作者は2倍速で見られるのは
良しとしないでしょうけどね、当然。。。