最近、お仕事の件で、いろいろと話したりするけど、
すごく傷ついたりする。
それがよくわからなくて、なんで、いろんな人に支えられているにもかかわらず、
こんなに孤独で、追い詰められて、悲しくて、傷ついてるのは、なんでなんだろう、
って思ってたのですが。
いろいろ話してて、ちょっと自分の悶々の理由がわかった気がした。
ひとつには、一面からみた「正論」ってときどき、すごく傷つくんだなってこと。
正論って正しい意見ではあるけど、立場を違えばまったく逆の意見が正論になる。
立場のちがう正論は平行線で交わらない。(両方正しいから)
だから、ばらばらのいろんな角度からの正論に対して、
できるだけその全部をうけとめようと思ってもがいてるときに、
そのうちの一面からの正論で批判され非難を受けると、、、
なんか、全てがやるせなくなって諦めたくなる。
でも私が悲しく思ってたのは、現実への絶望なんかじゃなくて、
交わらない正論のあいだで、ただもがいてただけだって気づけば少し楽になる。
それと、もうひとつ。
がんばって期待にこたえようとする役と、わりきって断わったり壁になる憎まれ役。
私はそれは役割をわけることでうまくいくと思っていて。
逆に言うと、全力でやるなら、その役割は一人では両立しないしどちらしかできないと思う。
だから、そのそれぞれの役割を、どっちもやれと言われてなぜやらないのと、
責められると(今までそこを整理して言葉にできてなかったから)すごく悲しくなってた。
自分が否定されていて、自分のやってきてることが認められてない気がして。
でも、そういったひとつひとつの役割に対して、
自分が勝手にその役割にみている意味(裏の役割)が伝わってないだけだったなら、
そんなに傷つかなくてよかったのかもしれないよね。
今日、現場スタッフが、なにかのときにふと、
「その役割(この場合は、憎まれ役)を引き受けてくれるんで助かってます」と
言ってくれて。そう言ってくれたんだけど。
でもそのあとに、全然別の人と話してるとき、
逆に自分が「期待にこたえようとする役」でやってる交渉ごとに、
「断って壁になってくれる憎まれ役」になってくれる人がいなくて
いろいろ悩んでるジレンマの話をしていて。
そういう孤独なジレンマのなかでひとつの決断を求められると、
ひとつ腹をくくるしかないのかな、って極端な結論を出そうとしてた。
でも、自分が考えるべき問題と、自分が傷ついてる部分がずれていることが
わかってよかった。後者だけにとらわれちゃうと、前者の本質を見失うよね。
まだいろいろと考えなきゃいけないことだらけだけど。
ごちゃごちゃで考えてるとつらいから、
少しずつでも、ひもを解きほどいて、前に進んでいかないとな。
そんなこんなで、がんばらないとですね。
Monthly Archives: 12月 2012
「正論」ってやつ。
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