『蜩ノ記』を見て、”食べる” 所作の美しさっていいなあ・・・と。
普段PCに向かってコンビニランチで済ましてしまうところを、
ひとりで外に食べに行くようにして、所作の鍛錬を・・・ と思い、
昨日、初日(?)として、イタリアンに入ってパスタを注文。
と・こ・ろ・が!
なにこの自分の不器用っぷり!
気取ってスプーンを使わずフォークだけでクルクル挑むも、
なんか上手にできず、なんともかっこ悪い!(´;ω;`)ブワ
涙目。
ここは、映画でも見て 、エレガントな所作を研究!
ということでいろいろググってみたりしつつ、
まずはパッと思いついたのが前に観た、
ジュリア・ロバーツの 「食べて祈って恋をして」。
『食べて祈って恋をして』
パスタとかイタリアン料理がすごく美味しそうだったのが
すごく印象に残ってる映画。
んーーーたまらない!美味しそう!
ということで、さっそく、huluで細かくチェックしながら研究!!
離婚で傷ついたNY女子が、
いろいろインドとかバリとか旅をしていくんだけど、
最初の旅先がイタリア・ローマ。
あらためて観ると、アラサー&アラフォー女子に響く、
なかなか示唆にとんだ素敵なメッセージがけっこういっぱい。
(とりあえずイタリアパートしか見てないけど・・あとでインド・バリパートも見直そう)
そしてまず最初にイタリアン・スピリットの洗礼を受ける。
素晴らしい。
まずは日常の凝り固まった既成概念の「破壊」から・・・ということですね。
普通に映画として見てるだけでも、いろいろと、ハッとなる言葉をメモメモ。
そして出てきます、食事のシーン。
なんだろう・・・
そう、ヨーロッパ人の食事シーンって、
手がなんかこうエレガントなんですよね。(イメージ)
特にイタリア人の雰囲気は、男が女を口説くカルチャーのせいか、
なんとなく手元にまで漂うはんぱない色気。
ナイフとフォークとか・・・
持ち方が違うのかな・・・・・?
と思っていたら、
劇中にそのヒントが!
とのこと!
確かに欧米の人はリアクションがでかいけど、
イタリア人は特に、手の表情が豊かな気がする!
喜怒哀楽も激しいけど、
手の表情が加わることで、より パッションな感じ。
そういう目で見てみると・・・
フォークの持ち方がなんか違う!
ふわっと持っていて、力が抜けていて、優しい持ち方。
自分とかだと、なんとなく、フォークとかだと「鉛筆持ち」に近い感じか、
ナイフと一緒のときはグイッと握ってしまうんですが・・・
そうアメリカ含めて、こうだよね。フォーク。
親指でがっしり。
・・・ね!
やるでしょ、がっちり親指でホールド。
対してイタリアは、親指・人差し指・ 中指で、
ふわっと持ってる感じ。
親指の位置とかから、なんか違う!!
この優しい持ち方、、
いいなあ・・・。
しばらくはこれをトレーニングだなぁ・・・・。
ということで、しばらく、ランチはパスタのお店めぐりする所存!
(美味しいお店探しもかねて一石二鳥?)
『食べて祈って恋をして』
http://www.hulu.jp/watch/679501
Monthly Archives: 10月 2014
【食べる映画】食べて祈って恋をして
「蜩ノ記」 雑感
試写状をもらっていたにもかかわらず残念なことに機会を逃してしまったので、
初日初回で、朝から『蜩ノ記』を観に劇場へ。
武士ものの物語に描かれる「覚悟の美学」や、
時代ものの物語で表現される美しい言葉や所作が好きなので、
この『蜩ノ記』の映画に出会えたこと自体が感動の出来事に思えるほど、
すごく魅せられた。
武士道というのは「死」というのが中心にあって成り立ってる「道」だと思う。
”どのように死ぬか”ということから導かれる、”どのように生きるか”ということ。
秋谷(役所広司)の切腹の支度を、妻の織江(原田美枝子)が、
時折、涙をこみあげながらも、ひとつひとつ丁寧に行っていくシーンを見ていて、
すごい時代、すごい文化・考え方だなと。。そういった武士・武家の者としての生き方を
「死」から説く人生に根付く教えが武士道なんだなと。。。
切腹という所作が、悲しく切なくやりきれないのに、ひとつひとつが美しく。
秋谷の「死ぬことを自分のものにしたいと思って生きてきた」という言葉。
秋の気配が近づくと一日の終わりを悲しむように鳴く「蜩(ひぐらし)」と、
三年後に切腹を控えながらもお家の歴史を編纂するという御役目に日々向き合い
一日一日を大切に生きる「その日暮らし」である自分自身を重ねて、
綴られる「蜩ノ記」。
運命に向き合い、父の覚悟を受け入れ、
同じく一日一日を大切にともに生きようとする家族。
怯えることも取り乱すこともなく、互いに思いやり、
呼吸を乱すことなく、姿勢正しく日々を生きる強さ。
現代の自由度が高く我慢の少ない生活では培うことはなかなか難しいそういった生き方は、
やっぱり、死ということが否応なく身近である時代に成立した「武士道」という
精神によって支えられていたのかなと。
***
映画を見終わったあと読んだパンフレットに、役所広司のインタビューページで、
「準備ということでは小泉さんは黒澤明監督を引き継いでいますから、撮影に入るときには
どの部署も準備ができていますし、勉強しています。俳優が”これはどういうこと?”と聞くと、
全て答えられるようになっている。」と書いてあり。
このスクリーンに描かれる丁寧な世界は、やっぱり作る側の丁寧な仕事のひとつひとつの
積み重ねから生まれるんだなと。猛省をこめてしみじみ思う。
***
所作を美しくするためには、身体を鍛錬しないといけないし、
逆に体が鍛えられると精神もぶれなくなって、さらに美が磨かれる。
そういうのを重ねることで、どう生きるかという気品が身につくんだなと。
そんな生き方をすごく感じた映画。
美しい気品のある所作が少しでもできるように練習したくて
(ちょうど朝ドラ「マッサン」で日本の文化を身につけたいと奮闘するエリーにも刺激され)
日々のランチも、PCでネットや作業しながらデスクでコンビニ弁当とかじゃなくて、
毎日じゃなくてもちゃんと外に行って、ひとりでスマホいじったりせず、
食べることと所作の美しさの練習に集中する時間を作っていけたらなと。
ランチはついひとりだと、面倒くさい・億劫、というのが先立ってしまって
コンビニとかで済ましてしまうけど、食事の質が低いと人生の質が落ちるというので。
願わくば、、、、、、、
今のこのカオス部屋からどうにかこうにか抜け出したいものです。。。
(もう根が深すぎて何から手を付けてどうしたらいいのかわからず、
途方にくれてフリーズ状態・・という理想と現実のギャップ。。涙目)
でもまずは出来ること、ということでいえば、
所作も言葉も。美しさとは飾り立てることではなく無駄がないこと。
メールも含めて文章は、ひとつひとつを読みやすく適切な言葉で、
簡潔に・・を心がけよう。(すでに、この記事だいぶ長いけど・・・・・・)