出し惜しみしないこと。全力で走ること。

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—–引用——————————————————
「知ってる情報は全部、顧客に出せ」とよく言われた。
情報だけじゃなく、考えたこと、知見とか洞察という類のモノ、
知的財産的なもの、なんでも。

「全部だせ」の意味は、
「出し惜しみするな」「隠すな」「もったいぶるな」ということ。
その人(当時の上司、てか、かなり偉いかんじの人)はそう言っていた。
「全部出しきったら、翌日はまた何か価値あるものを見つける必要がでてくる。
そしたらお前は努力するだろ」と。

「価値あるものを隠し持っていると、人は全速力で走らなくなる。
だから全部出せと言ってるんだ」と彼はよく言っていた。
「優秀な奴なんてなんぼでもいる。ごろごろいる。そこらじゅうにいる。
差が付くのは、そいつが全力で走っているかどうかだ」と。
「オレはできる」とか「あいつは優秀だ」とかには意味がない、
「これ以上は無理というくらい力を出し切って
走っているかどうかがすべてだ。」

引用元: 守る組織、守る人 – Chikirinの日記.

この点については私は恵まれてる。
というか良いキャリアステップが踏めたような気がする。
前の会社が、まあWEB屋だっただけに会社全体で(というか
当時の部署が特に?)「共有(share)命!」という体質だったから。

前の会社で驚いたことは、とにかく得た情報を惜しみなく共有すること。
最初の頃は、それ自分のなかで持っておけば、必要なときに、
解決案としてポンと出せて重宝されるだろうに・・・と疑問に思ったりしてた。
けっこう何でもかんでもオープンにしてくれた。部署のこととか、方針とか、
何をどうしようとしてるか、どういうビジョンで考えてるか・・・などなど。

でも、見ていて気づいたことが3つ。
1) 情報を出す人のもとに、新たな情報が集まっているという現象。
2) 情報量が個人で覚えきれない量なので、他人の”記憶力”を外付けHDD化
3) 情報(とそこから生まれる考え)は外に出して、外部と交わると進化する。

そんなこんなで5年間、とにかく私も、
例にもれず「共有(share)命!」という体質に染まったわけですが。
でも確かにそれをやってみると、ちきりんの言うこともわかる気がする。
やっぱりこれだけ、inputする量が多いと、どんどん根こそぎoutputして
いかないと新しい情報が入らなくなって頭のなかの情報が停滞しちゃうし、
やっぱり水は流れてないと腐るのと同じように、 根こそぎ出さないと、
本当に自分のなかになかなか新しいものを生んでいけない。。
(というか経験的に、根こそぎ出しきっちゃって”出がらし” になって、
しばらくした後のほうが、何か新しいことを思いつくことが多い。)

まあ、ちきりんは出し惜しみというのを「能力」だったりを言ってて、
私が言ってるのは「知識・アイディア」だったりするので、
まったくイコールの話ではないのですが。。

でも、「≒」な話だと思います!!!

ちなみに。。。

「これ以上は無理というくらい力を出し切って
走っているかどうかがすべてだ。」


→ うーん、、、これ以上は無理!というくらい、
毎回全速力で走りきってる(ほんと言葉通りに力尽きるまで・・)と
いう点は、自信があるのだが。。。 なかなか「自分の満足いく域」に
まで届かないなあ・・・・。

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