いじめ構造

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集団で群となって、
よってたかって個人を吊し上げる。
ここ最近の朝青龍報道はほんと“いじめ”そのものじゃんね。
最初の報道は、私、忘れもしないけど
「朝青龍、中田ヒデとモンゴルの子どもたちとサッカー」っていう
ほのぼのニュースで仮病のケの字もなかったのに。
逆にその翌日からは、今に至るまで中田ヒデのヒの字もなく。。。
子どものいじめで事件が起きると右にならえ的に批判して、
TVでは画面で大人たちが眉をしかめながら、
その場かぎりの安易な「勧善懲悪」的なコメントしてるのを流して。
でもそんなマスコミ報道合戦の構造自体が、いじめ構造そのものじゃん。
しかもそれを迎合してるのは私たち視聴者で。
無検証にもかかわらず安易に他者を非難する、
この大衆心理的な無責任な態度を棚に上げて、
いじめの因果を当事者(子ども)になすりつけてる限り
いじめはなくならないんじゃないかな。
大人社会でもいじめは存在するけど、巧妙な分、
(下手したら無自覚的に)潜在下に押しやってるわけで。
そんな構造の中で「子どものいじめだけ」なくそうとしても、
そんなの海の水をバケツ1個で全部すくい去ろうとしてるみたいな感じ。
がします。