試写状をもらっていたにもかかわらず残念なことに機会を逃してしまったので、
初日初回で、朝から『蜩ノ記』を観に劇場へ。
武士ものの物語に描かれる「覚悟の美学」や、
時代ものの物語で表現される美しい言葉や所作が好きなので、
この『蜩ノ記』の映画に出会えたこと自体が感動の出来事に思えるほど、
すごく魅せられた。
武士道というのは「死」というのが中心にあって成り立ってる「道」だと思う。
”どのように死ぬか”ということから導かれる、”どのように生きるか”ということ。
秋谷(役所広司)の切腹の支度を、妻の織江(原田美枝子)が、
時折、涙をこみあげながらも、ひとつひとつ丁寧に行っていくシーンを見ていて、
すごい時代、すごい文化・考え方だなと。。そういった武士・武家の者としての生き方を
「死」から説く人生に根付く教えが武士道なんだなと。。。
切腹という所作が、悲しく切なくやりきれないのに、ひとつひとつが美しく。
秋谷の「死ぬことを自分のものにしたいと思って生きてきた」という言葉。
秋の気配が近づくと一日の終わりを悲しむように鳴く「蜩(ひぐらし)」と、
三年後に切腹を控えながらもお家の歴史を編纂するという御役目に日々向き合い
一日一日を大切に生きる「その日暮らし」である自分自身を重ねて、
綴られる「蜩ノ記」。
運命に向き合い、父の覚悟を受け入れ、
同じく一日一日を大切にともに生きようとする家族。
怯えることも取り乱すこともなく、互いに思いやり、
呼吸を乱すことなく、姿勢正しく日々を生きる強さ。
現代の自由度が高く我慢の少ない生活では培うことはなかなか難しいそういった生き方は、
やっぱり、死ということが否応なく身近である時代に成立した「武士道」という
精神によって支えられていたのかなと。
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映画を見終わったあと読んだパンフレットに、役所広司のインタビューページで、
「準備ということでは小泉さんは黒澤明監督を引き継いでいますから、撮影に入るときには
どの部署も準備ができていますし、勉強しています。俳優が”これはどういうこと?”と聞くと、
全て答えられるようになっている。」と書いてあり。
このスクリーンに描かれる丁寧な世界は、やっぱり作る側の丁寧な仕事のひとつひとつの
積み重ねから生まれるんだなと。猛省をこめてしみじみ思う。
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所作を美しくするためには、身体を鍛錬しないといけないし、
逆に体が鍛えられると精神もぶれなくなって、さらに美が磨かれる。
そういうのを重ねることで、どう生きるかという気品が身につくんだなと。
そんな生き方をすごく感じた映画。
美しい気品のある所作が少しでもできるように練習したくて
(ちょうど朝ドラ「マッサン」で日本の文化を身につけたいと奮闘するエリーにも刺激され)
日々のランチも、PCでネットや作業しながらデスクでコンビニ弁当とかじゃなくて、
毎日じゃなくてもちゃんと外に行って、ひとりでスマホいじったりせず、
食べることと所作の美しさの練習に集中する時間を作っていけたらなと。
ランチはついひとりだと、面倒くさい・億劫、というのが先立ってしまって
コンビニとかで済ましてしまうけど、食事の質が低いと人生の質が落ちるというので。
願わくば、、、、、、、
今のこのカオス部屋からどうにかこうにか抜け出したいものです。。。
(もう根が深すぎて何から手を付けてどうしたらいいのかわからず、
途方にくれてフリーズ状態・・という理想と現実のギャップ。。涙目)
でもまずは出来ること、ということでいえば、
所作も言葉も。美しさとは飾り立てることではなく無駄がないこと。
メールも含めて文章は、ひとつひとつを読みやすく適切な言葉で、
簡潔に・・を心がけよう。(すでに、この記事だいぶ長いけど・・・・・・)
「蜩ノ記」 雑感
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