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March 29, 1989 18:03 [自分史]

自分史:「小学校時代(中)」

小学校の3・4年。1980年後半ですねー。
いわゆる80年代、言ってみればバブル前夜・・・ぐらいなんですかね?
実感としては、よく分からないけど。

---小学校4年生---

小学校4年生。10才になる年ですね。
この1年はやたらと激動の1年でした。私的に。

まずは、5月に都内→都内なんですけどお引越し&転校。
幼稚園の頃の転園は、まわりも自分もその意味が
よくわかってないので、気持ち的には「初めての転校」と
いった感じ。

ただ初めてと言えども、転校という概念自体は、
小1か小2ぐらいのときにクラスの子が転校したことがあったので。

小学校のときとかって、転校するほうがお別れに・・・って記念品?を
配ったりしてましたよね。ま、今も転職のときとかクッキー配ったりするけど。

なんかそういうのを見て、子ども心に、
よくわからない憧れが。(笑)
なので親友と離れるのが悲しいというより、
そのイベント(祭り)にテンション上がってた覚えがあります。
 
 
 
で、その小4の5月に転校し、新しい学校に転入。
桜のきれいな校庭が都内で2番目に広い小学校でした。

どこから来たの?という質問に「市立第六小学校」と答えると、
「えーー私立なのー?超すごいじゃん!」
「え、大学小学校??」などなど。

持ち合わせの滑舌の悪さと、
天性のすっとぼけた社会常識のなさで、
ぜんぜんかみあわない会話。ww
私立という概念をそこで初めて知りました(笑)。

で、10月。

なんと親の仕事で、1年間、カナダに行くことに!!!

少し慣れたというところで、また引越し(転校&転入)。
ええーーーーーーー!?って感じ。

ただ・・・時は、ソウルオリンピックがあった年。
カナダに転校する・・と聞いたクラスメイトは色めきたつわけです。
「ベンジョンソンのサインもらってきてねーーーー」

・・・・・・って、フツーに無理ですから。ι(´Д`υ)

一介のニッポン人の10才の小学生にそんな権限もなく。
まあそんなこんなで、忘れもしない10月18日(←子どもなので
妙な記憶力のよさを発揮w)、カナダの地に降り立ったわけです。

最初、数日間は住まいの手配などのためにホテル暮らし。
子どもだから、カナダに来た感動とかよりも、食事がマック、
というのが嬉しかったり・・・(優先順位がおかしい)。

カナダは首都オタワに住むことになったのですが、
このオタワという都市ってば、
仏語圏のケベック州と、それ以外の英語圏の人たちが仲悪いため、
ケベックとの境界にあるという理由だけで、
首都に採用されたという田舎町。

さすがカナダ。首都の決め方が大雑把すぎるよ(笑)。


てなわけで日本語学校というものがなかったために、
現地校へ通うことに。しかもよく分からないシステムなんですが、
その地域の公立の小学校が2種類あって、
うちに近いほう?が、
・小学校1~3年生(?)の低学年と、
・小学校4~9年生(=中3?)の高学年とで、
学校が分かれてるの。なぜか。
(しかも分け方が完全におかしい・・・)

ということで、見事、小学校2年生の弟と、
小学校4年生の私とで別々の学校に行くことに。

カナダの小学校では、
ESL(English as a Second Language)という外国人向けの
クラスがあって、最初のころは、ほとんど1日中そっちのクラスに
いました。幸か不幸か、私のほうの学校には、同学年に日本人が
いなくてさらに、上級生に3人ほどいた日本人はみな男子。
ということで、デンマーク人のPernilleって子とつるんでました。

この子が、なかなかユニークな子で。

シュール1:
 やたら動物を飼っている。カナダにいるときはウサギと大型犬だけ
 だったのですがデンマークでは馬を飼ってたのこと。
 たぶん動物たちと話せたんじゃないか?と思えるような
 不思議ちゃん。ww

シュール2:
 ナイーブな性格だったらしく(←私が来てからは先輩として
 けっこう面倒見てくれたのですが)よく学校に来なかったり
 してました。今でいう不登校の寸前?みたいな感じ。

シュール3:
 あと・・・・ひたすら算数ができない子だったなー。(笑)
 小4でしたが、+/-がぎりぎり。かけ算がNGで。
 デンマークは算数のカリキュラムが遅れてるから、
 と言ってましたが・・・・本当かなあ。ww┐(´ー`)┌フッ

シュール4:
帰国後のことでしたがやたらチェーンメールが好きな子で。
ひさびさにメール来た!と思ったら、「このメールを友達に
転送してください」的なメールであること100%みたいな。
しかもBCCじゃなくて思いっきりCCメールで。w
ウケル・・・・。

 # まあ"不幸の手紙"的なやつじゃなくて、
 # 幸福のメール系だったから善意にあふれているんですけどね(笑)。

・・・・・そういえば私が学生ぐらいのときに、
子どもを産んだってメールきてたなー。
今、小学生ぐらい?かな・・・。

ま、脱線しましたけど、
そんな感じで、外国人仲間がいたので、
けっこう心細いことはなく、わりとすぐなじめたような気がします。
日本はカナダより、算数のカリキュラム、進んでたしね(笑)。

言葉の方も、最初の頃は、
2コ上(?)の男子のマコト君に通訳してもらいながら、
あと日本から持っていったスヌーピーの和英辞典を片手に
なんとかやれてましたね。意外とこのスヌーピーが役立つんですよ。
よく仲の良かったSusieという子に、意味が通じなくなると、
「Snoopyーーー!!!」って言われて、
辞書を持っていって単語を引いてもらう、みたいな。


カナダの小学校の変なルール
カナダってすごい寒い極寒の国なのに、
朝、スクールバスで学校に着いたら、始業まで学校の中に
入れてくれないんですよね。なぜか。今の日本だったら、
虐待とか大騒ぎになっちゃうんじゃないかと思うんですけど。
休み時間も必ず外に出されて、怖いおばちゃんがドアのところに
立ってるの。トイレ行きたくても申請制。
怖い上に言葉通じないし、もう完全にアウトでしたね、私は。

なんだかんだでけっこう面白かったですねー。
池というか近所の水たまりが凍って、
スケートが出来たりするし。

あと普通にスケートリンクもあるんですけど、確か、
なんか時間制で。2~3時間しかすべれないからハシゴをするわけです。
週末の土・日と。観光客気分の我が家のファミリーは、
めいっぱい週末になるとスケート場に通いまくってたのですが、
そのうち常連さんたちと顔なじみになってきたりね。

一度、夏場に特別にスケートリンクがOPENしたんですが、
そのときにいたのも、やっぱりいつものメンバーで。www
なんかほのぼのしてて笑えました。

Xmasとかはやっぱり良かったですねー。
特にパーティとかが・・っていうわけじゃないけど、
街中がイルミネーションできれい。ホームアローンとか、
そんな感じの世界です。お店だけじゃなくて、むしろ、
各家庭がイルミネーションしてて、それも雪世界だから
超雰囲気がステキです。家の近所に、ザ・クリスマスツリー
みたいな大っきなモミの木があってすごい綺麗でした。

・・・・なのですが、
私が行った年はなかなか雪が降らず、あわや、何年ぶりかの、
Green Christmas(←White Chirstmasの反対だそうです)
になるかも?とか騒いでました。(笑)
ぎりぎりでなんとか降ったけどね。

あと、カナダってシュールだなあ、と思ったのは、
いとこ達が日本から遊びにきたからお土産を探しに行ったんですが、
変なTシャツとか銅のお皿以外、ひたすら made in USA もしくは、
made in Japanだらけなんですよ。(笑)

・・・・・日本の国力の高さを感じさせられマシタネ!(´ゝω・`)ネ☆笑

ちなみにいま話題の消費税導入もこの頃で、
向こうにいる間に、おばあちゃんからの手紙で聞きました。(笑)
なので消費税導入の年はバッチリ年号で言える。ww

あと昭和から平成になったりとか。(たしか)

あとあと、カナダに行く前はあんなに流行ってたキョンシーが、
日本に帰国したら、みんな「あーあったねーーー!なつかしい」的な
リアクションで、超ショックを受けたり。
流行のはかなさを覚えたわけです。

10才という区切りの年で、
1988→1989という年は、
自分的にも世の中的にもかなり激動の1年でしたね。

なかなか貴重な体験をさせていただきました★