そして小5で、カナダから帰国。
まあ名ばかり「帰国子女」となって東京の田舎の小学校に
再転入するわけです。。
---カナダから帰国---
カナダにいた頃は、英語がしゃべれてた……と。
今までそう思ってたのですが。
よく考えたら10才って。日本語だったとしても、
「あーーーいーけないんだいけないんだ!」
「それーオレのだぞー」「先生に言うぞー」とか。
そんな類の内容しか話してないわけですよね。(笑)
それぐらいなら話せるか。www
それはさておき。
そんなこんなで、1年カナダにいて、小5の秋に帰国。
同じ小学校にふたたび転入。ただでさえ転校生って目立つのに、
カナダからだしなー。カナダ行く前も半年位しかいなかったから、
友達関係もほぼゼロベース。
そんなもんで、扱い的には「カナダさん」とか呼ばれてました。w
安易なネーミングセンスですよね、さすが小学生。
まあそのうち慣れましたけど、お互い。
帰国してから、なんだかんだで普通に小学生時代を過ごしてました。
ただ、自分的には日本文化がその頃は大嫌いでした。
戦後の日本がアメリカコンプレックス持ってたみたいに、
なんか欧米コンプレックスがあって、日本文化は低レベルだと、
そう思ってた時代。
カナダに行く前は、キョンシーが流行ってたから古代中国文化に
憧れがあって。今もなんとなくそうした古いアジアの王宮文化
とか風水的なものとか嫌いじゃないです。
カナダから帰国してからは、特に欧米文化に心酔することは
なかったけど、カナダの文化と日本文化がなんか低レベル
なものだと(思春期でひねくれてたもんで)思ってました。
まあ、とはいえそんなひねくれっぷりもあまり表立っては、
外に出さず、ひたすら隠してた気がします。
せっかく身に付けた(のは錯覚だったかもしれないけど)
英語とかをふくめて、あまり目立つと「目をつけられる」文化に
おびえて隠して。塾に行ってる人も「ガリ勉」って言われて敬遠
されるような文化だったから、徹底的にそういうのを避けて、
なじむように心掛けてた気がします。
この頃は、とにかく大人しく…。
親は中学受験をしてほしかったみたいだったけど、
頑なに拒んでました。こわかったし。なんか。
同じ学校への2度の転校生経験で、
微妙な(今でいう)アウェイ感を感じたせいなのか。
溶け込みたい思いが、たぶん人一倍強くて、
必死だったのかもしれないですね。。
(その頃はとにかく世界も狭かったし気も小さかった…)
ちなみにこの頃で印象に残っているちっちゃな思い出。
すごいふとした瞬間に、幸せを感じたことがありました。
ある冬の日。弟と相部屋だったけど、すでに寝てて、
深夜22時ぐらいで両親もすでに就寝。
そんな静かな部屋の中で、ストーブに当りながら、
ひとり部屋で本を読んでる瞬間に。。。
「…ああ、今、めっちゃ静かで幸せかも」と。
心底幸せをかみしめた覚えがあります。(……暗っ!!)
あいだみつを、かよ!w
ま、そんな感じなんですね、自分の本質というか。。
なんか何かを成し遂げるようなビッグな幸せというより、
この頃から、平凡な”普通”であることに幸せを感じてる、みたいな。
あと昔から、ひとりの世界に入るのが、けっこう好きだったんですね。
(そのわりになぜ今、ひとり旅できないのか謎ですが……)
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自分で言うの変ですが、まあ田舎の小学校ぐらいでは、
いい点数とれるぐらいの成績だったのと大人しかったので、
たぶん「優等生」のくくりだったと思うんですが、
すっとんきょうな子でした。
テストとか勉強とかあらかじめルールが用意されたなかでの答えには
わりと到達できるんですが。いわゆる「頭のいい子」ではなかったのかも
しれないですね。未だにあるけど、いわゆるリアクションとか、
そういうのをちょいちょい間違える(ミスチョイス)するタイプ。
でも小さい頃って、その区別ってよく分からないもので。
自分で言うのも本と変なんですが、自分を「頭のいい子」
というくくりなんだと思ってました。(笑)
当時はね……。
自分史:「小学5年生6年生」
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